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  建物・構造物等

 

□ 社殿

 古くは本殿横に神生石と書いてミアレイシと呼ばれる石があり、古代信仰において山や木や石などを神が宿った存在として崇めており、この神生石も、信仰の対象として崇拝され、後にその横に御神殿を建立したものと推測できる。

 
 天文二十三年(一五五四年)毛利元就と陶晴賢による厳島合戦の戦火により、御神体を奉持して、周防国玖珂郡山代生見村の内二箟の山中に逃れ、兵乱の後、弘治二年(一五五六年)に祝師西村左衛門太夫吉久が御再建する。この時の本殿はかや葺きであった。


  享保十五庚戌(一七三〇)九月十七日の夜祭の時提灯より出火し社殿裏よりご神体を仮宮を設け遷宮し十八日の御祭礼を十九日に執行した。この時、御幣が光と共に玖珂郡山代生見村に飛んでゆき返してもらうために、新しい御幣を奉納し、交換してもらったと伝えられる。
 

 その後、享保十七壬子(一七三二)西村河内守須久が本殿を御再建し、元文三戊午(一七三八)拝殿と廊下を建立した。  本殿 流造桧皮葺き。  間口二間 奥行二間       
             拝殿 入母屋造瓦葺き。 間口五間 奥行四間   

 

 その後、天明(一七八一~九)の頃、西村美濃守公久が本殿を御再建した。
             本殿 流造桧皮葺き。  間口三間 奥行二間 


 昭和二十年の枕崎台風などで傷みが甚だしく昭和四十二年西村公尚が御再建し現在の社殿となる。 鉄筋コンクリート造。本殿 神明造銅板葺     間口 三㍍六十㌢奥行二㍍七十㌢
              幣殿                   間口 五㍍四十㌢奥行三㍍
              拝殿 流れ造向拝付瓦葺  間口十二㍍六十㌢奥行六㍍。

 

□ 境内末社


伊勢宮(穀神社)                    水神社

祭神 豊受姫神  鎮座年月日不詳。       祭神 水波能女神 鎮座年月日不詳。
                               夏越の大祓いの際、人形流しを行なう。


天満宮                          霊神社
祭神 菅原道真神 鎮座年寛政元年。        平成五年再建。


祇園社                          岩屋社
祭神 素佐之男命 鎮座年天明五年。       祭神 大巳貴命 少彦名命 稲背脛命                                                                                  疫病を退散させるために奉斎。             鎮座年文化十五年。    
                               疫病を退散させるために奉斎。

 

□ 狛犬

 前玉乗り、横向き立像で、台座の周囲にはボタンの浮き彫りがされている。
 その下の飾り台座には、正面に「奉献」「廣嶋」・側面に「癸未 文政六年(1823年)九月吉日」・裏面に「石工 尾道 山根屋 源四郎 藤原 傳篤」と刻印されている。


 文政の頃は、西村美濃守公久の代で、西村美濃守公久(従五位下)は西村家歴代の中でも、廣嶋藩に重用されて、主な祭事に於いて筆頭神官を務めた人物であったため、廣嶋藩から奉献されたのであろう。
 山根屋源四郎傳篤は、尾道石工の中で、唯一棟梁の肩書きを記す人物である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

□ 力量石
 

 昭和初期の頃まで、全国各地の集落で、大きな石を持ち上げて力比べをする風習があり、その時に使われる石を「力石」と言っていました。この力比べは、娯楽の少ない時代の貴重なレクリエーションだったそうです。
 また、石占(いしうら)から発生したという説もあります。
 また、労働の大半を人力に頼らざるを得なかった時代に労働者の間で体力を養ったり、力比べをしたところから発生したともいわれています。

 玖波の大歳神社に奉納されている「力量石」は、後者に近いものと思われます。井戸掘りを本職として、当時の草相撲で大変強く、その四股名が角ヶ崎であった中井直松が恵川から抱えて持ち上げたものです。

 

力量石                                                                                          量目七拾八貫目                                                 

角ヶ崎直松建之                                                  

明治廿三稔第三月                                               

當年二十四歳

                                                                                                                              因みに、一貫は3.75㎏で、七十八貫目は、292.5㎏になります。

 

□ 注連柱
明治三十有二年己亥九月祥日に建立されました。

威徳充満 万民浴澤

 

□ 鳥居

昭和五十四年己未三月祥日に台風水害によって流されていたものを再建しました。
 

 

□ 工事記録

 

玖波大歳神社

平成二十三年十二月  シロアリ駆除。祝詞殿床張り替え。
平成二十二年十二月  参道等敷石整備。
平成二十二年十一月  社殿・霊神社間敷石整備。
平成十四年  三月   芸予地震による被害箇所の修復完了。
平成十三年十二月   参道敷石整備。手水鉢一基設置。
平成 八年  十月    水神社(境内末社)再建。
平成 六年   七月    拝殿大屋根葺替。
平成 五年 十一月    霊神社(境内末社)再建。
昭和五十九年 三月   手水所上屋建設。
昭和五十九年 八月   祇園社・岩屋社(玖波大歳神社境内末社)御社殿再建。
昭和五十九年 三月   伊勢社(玖波大歳神社境内末社)御社殿再建。
昭和五十七年十一月  大星浜胡子神社(玖波大歳神社境外末社)玉垣・注連石・手水鉢・敷石の建設整備。
昭和五十七年 四月   下の浜胡子神社(玖波大歳神社境外末社)本殿再建御遷座。
昭和五十四年 四月  石鳥居再建(台風水害で流出していた)。

 黒川大歳神社

平成二十年 六月    玉垣設置整備。
平成十八年 六月    社殿・御供部屋間敷石整備。
平成十年 十月      国津神社(黒川大歳神社境内末社)の鳥居再建。
平成元年 十月      御社殿再建・本遷座。これに伴う手続きを約一年行う。
昭和六十三年十一月  広島岩国バイパス建設のための移転協議・申請・仮殿遷座。

松ヶ原大歳神社

 

平成二十七年十二月  若宮社再建。

平成二十一年 九月    大幟用支柱設置整備。
平成 十八年  九月    参道敷石整備。手水鉢一基設置。
平成 十三年  九月    芸予地震による被害箇所の修復完了。
平成 七年 十月      社務所再建。
昭和 五十八年から 平成三年七月
      所有地一部を松ヶ原小学校用地として処分・代替地の取得に至る協議・申請・登記等。
昭和五十七年 九月   子供御輿二基購入・収納庫一棟建設。
昭和五十七年 四月   神楽団の神楽衣装及び用具類一式を新調。
昭和五十七年 四月   石造大鳥居建設・参道拡張改修工事。
昭和五十六年 九月   衰滅寸前だった神楽団の再興。
昭和五十六年 六月   幣殿・拝殿大屋根修復瓦の葺き替え。

 

CM 広島県青年神職会が平成十三年三月三十一日に発行した「広島県の神社建築」は、広島大学大学院文学研究科 教授 三浦正幸先生の監修を頂き、総論・各論・資料も相当充実していますので、興味のある方は、広島県神社庁事業部にお問い合わせ下さい。

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