玖波 大歳神社
tel 0827-57-7307
昔、日本では、巨石や巨木や山や集落の中心に斎殿を設けて依代に神様をお招きして、御馳走や
讃え言葉や歌舞音曲などでもてなし喜んでお帰り頂くと①自然災害も無く②豊かな恵みや③人とし
ての高まりや④その姿を見て子孫が親や目上の人などを敬うようになると信じていました。
また、田を始め土地は神様からお借りしているもので、これらを行い、直会をしてより神に近づ
くことで、更新してまたお借りすることが出来ると信じていました。(一宿一飯の恩義・同じ釜の
飯を食べた仲もここから発生した言葉です。)
神様や御先祖に感謝の気持ちを持ち、日々謙虚な生き方を心掛けたいものです。
主祭神
大歳神
須佐之男神の御子。
正月にお迎えする歳神様で農業神。
副祭神
神大市姫
大歳神の母神。
市場をつかさどる神。
金山彦神
鉱山・鉱物をつかさどる神。
猿田彦神
天孫降臨のときニニギノミコトの道案内を務め
道中の安全・球技・遊びの神。
境内末社から本殿に合祀。
(由緒)
創祀年代は詳らかではないが。古くは本殿横に神生石と書いてミアレイシと呼ばれる石があり、古代信仰において山や木や石などを神が宿った存在として崇めており、この神生石も、信仰の対象として崇拝され、後にその横に御神殿を建立したものと推測できる。
天文二十三年(一五五四年)毛利元就と陶晴賢による厳島合戦の戦火により、御神体を奉持して、周防国玖珂郡山代生見村の内二箟の山中に逃れ、兵乱の後、弘治二年(一五五六年)に祝師西村左衛門太夫吉久が御再建する。
慶長の頃、福島正則が入国した後、当神社の神田三町が没収される。
享保十五庚戌(一七三〇)九月十七日の夜祭の時提灯より出火し社殿裏よりご神体を仮宮を設け遷宮し十八日の御祭礼を十九日に執行した。 この時、御幣が光と共に玖珂郡山代生見村に飛んでゆき返してもらうために、新しい御幣を奉納し、交換してもらったと伝えられる。
その後、享保十七壬子(一七三二)西村河内守須久が本殿を御再建し、元文三戊午(一七三八)拝殿と廊下を建立した。その後、天明(一七八一~九)の頃、西村美濃守公久が本殿を御再建した。
昭和二十年の枕崎台風やその後のルース台風・きじや台風などで傷みが甚だしく昭和四十二年西村公尚が御再建し現在の社殿となる。
余談ではあるが、玖波の地名の由来ですが、古来、高庭・津葉と言う名で書物にでており、その後、玖波が山陽路の要衝であり、山陰との交通路でもあり又、港町で、ここに木材などの物資が集積していたため木場と呼ばれるようになる。それがなぜ玖波となったかについて、古老の話しによれば、大歳神社が、玖珂郡山代生見村と深いかかわりを持っており、当地が入江で波打ち際であったために、玖珂の玖の字の下に波を付けて玖波となったとのことである。
当社の神官西村氏は、藤原鎌足七代末裔公秀(貞観十五年豊後守従五位に任ぜられる)を初代として現在の宮司西村公仁で四十三代目となる。